はじめに

旅行(1994年)と仕事(1996年、1997年)で訪れた国ブルガリア、そのときのメモと写真です。 特に、1996−97年に滞在したときは、仕事柄、ソフィア、プロブディフ、ブルガス、ヴァルナ、メルニックなどブルガリア各地に滞在した。

どことなく郷愁という言葉が似合う国、どことなくオリエントを感じる、どことなく親近感のある国、覚書と写真ですが少しでもブルガリアの魅力を紹介したいと思います。

ブルガリアは、リラの僧院、バチコフの僧院などのブルガリア正教の歴史的建造物、美しい村や町、黒海沿岸のリゾート、ブルガリアワイン、バラの谷など、 実は見所満載なのです。そう、ブルガリアはヨーグルトだけではないのです。そんなブルガリア、見るのと聞くのでは大違い、密封しておきたいようなブルガリア・・・です。

管理人A

Spring in Sofia 2011

更新

2009/11/XX サーバダウン、年末再UL
2006/07/25 Yahooカテゴリ登録
2006/06/15 独自ドメインで公開
1998/00/00 開設

ブルガリアついて

大関琴欧州の活躍でブルガリア及び彼の出身地であるヴェリコ・タルノボは広く知れ渡っていると想像する。毎回、行事が呼び出す「ブルガリア、ヴェリコタルノボ出身・・・」は、耳についてしまった。

日本でのブルガリアは、もちろんヨーグルトで有名だ。1970年の大阪万博ブルガリア館で紹介され、ある企業が積極的にアプローチし、ヨーグルト菌を分けてもらった。それが日本の本格的なヨーグルトの幕開けとされている。

市場経済へ移行した1990年以降、ブルガリアワインが少しずつではあるが、ボトルで日本の市場にも出回るようになった。それ以前も、ブルガリアワインは輸入されていたが、バルクワインでありブレンド用が主だった。甲州ワインにはかなり重宝されたとある雑誌に説明されていた。

1989年にベルリンの壁崩壊に象徴される東欧民主化の運動がブルガリアにも波及し、同年年11月10日にジフコフ共産党書記長が辞任し共産党独裁体制が崩壊した。私が滞在した1996年、1997年はブルガリアの市場経済移行期のどん底にあたり、ハイパーインフレやカレンシーボードの導入を経験している。

その後は、他の東欧諸国と同様な道を歩み、2007年1月1日にルーマニアとともにEUへ加盟した。加盟に際しては改革が不十分として欧州理事会から再審査されたが改革を継続するとして承認された。加盟時においてEU最貧国であり、加盟後、若年労働者や知識層が高収入を求めて西欧へ流出することが危惧された。実際に私の知人はその通りの行動を取っている。水は高いところから低いところヘしか流れないのである。

目次

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ヘッダー

ある晴れた日の早朝(1996年12月)、ビトーシャホテルからソフィア市外を見渡す。右上に、アレグザンダー・ネフスキー寺院の金色のドームが見える。

ブルガリア地図(google)

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