ソフィアへ、1994年1月

”ソフィア”、何となく惹かれる都市だった。007シリーズ若しくはアガサクリスティーの影響だろう。しかし気にしはじめてから実際に訪れるまでにはかなりの年月が過ぎていった。これは他の東欧諸国と比べて一般的な情報の不足と私の見方に一方的なものがあったからなのだろう。1985年にナホトカ航路シベリア鉄道ソ連を旅行し、その後東欧諸国まで足を伸ばしたが、ブルガリアまでは届かなかった。その後、ソ連が崩壊し再度東欧諸国へ回帰した1994年初頭、東京のブルガリア大使館でビザを取得し、年休を利用してブルガリアを訪れた。それは、1月初旬、真冬のソフィアだった。ウィーンから夜行列車でブダペスト、ベオグラード(当時ユーゴスラビア戦時下だった)を経て早朝ソフィアに到着した。

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ウィーン、ブダペスト、ベオグラード経由ソフィアへ、1994年1月

「ユーゴスラビア通過の思い出で」に説明してあるが、 あまりにも無謀だったか、戦時下とはこんな状況なのだと思い知らされたベユーゴスラビア通過鉄道の旅であった。ウィーンから先ず、ブダペストへ移動、ここでソフィア行き夜行列車(最終的目的地はイスタンブールだったと思う)へ乗り換えた。このときの列車の名前が”オリエントエクスプレス”と表示してあった。この列車に乗り、ソフィアへ着いた。

ブルガリア出張、1996-97年

1996年から97年に仕事でソフィアに滞在する機会があり、仕事と合間を利用してブルガリア各都市を訪れた。このときも最初の滞在が冬、12月だった。ここに掲載している写真はほとんどがそのとき(12-1月及び8-9月)に撮ったものだ。

1994年にソフィアへ来たときは陸路(ウィーンから鉄道)での入国だったが、このときは、チューリッヒからバルカン航空でソフィアへ入った。オンボロ・・・、飛行機も空港も、よくまあこんな状態で使っていると思ったものだ、それに、一国の首都とは思えない有様だった。そしてソ連的な印象だった。キリル文字のせいもあるが。今ごろはEIBの融資により近代化されていると思う。 (数年前に改修されて新しくなったと聞いている。)

1996年12月のソフィア

オンボロ空港の印象が強かったが、ソフィア市内は1994年以来の2度目の滞在、都市の光景を一度記憶に焼き付けているので、その記憶との比較となる。ビトーシャホテルから今にも脱線しそうなトラムで中心部へ向かう途中、窓から古本屋マーケット(屋外)の前にマクドナルドの看板が覗いていた。1994年当時、マクドナルドがあったかどうか記憶にないが、少しずつ町の様子に変化が見られた、ただ、公共交通機関はどんどんオンボロになっているような印象だった。

ビトーシャホテルよりネフスキー寺院方向を望む、中心部の町並み

 

最も美しい正教会−アレグザンダー・ネフスキー寺院

バルカン半島最大且つ最も美しいと称えられる正教寺院。1882年に着工し、40年後に竣工した、露土戦争で亡くなったロシア兵20万人を慰霊するために建立された。地下にイコン博物館がある。

寒々としたネフスキー寺院である。休日に散歩がてらよく来た。というのはこの前公園に蚤の市が立つからだ。それにしても寒々しい。

ソ連製のカメラが並べられ、興味深く見て回ったが購入には至らず。民芸品も売られており、手作りのテーブルクロスを20ドル程度で購入した。

聖ソフィア教会

アレグザンダー・ネフスキー寺院の隣、ソフィア名の由来となった教会。赤レンガでできた教会で、ビザンチン帝国時代の6世紀に建立された。現在の教会は、20世紀に復元されたもの。 ソフィアにある東方正教会としては最も歴史が古い。

聖ネデリア教会

ソフィアへ到着して雪が降った。その数日後、青空がのぞいたので早速散策に出かけた。

スヴェタ・ネデリヤ広場、シェラトンホテルの前に建つ、ブルガリア正教の教会。1925年4月に当時の国王ボリスV世を狙った爆弾テロがあり、ボリスV世は無事であったが、100人以上の人がなくなった。現在の建物はそのテロの後で再建されたもの。(1997年1月)

寒々としたソフィアとドームを持つ建物、1996年12月

ソフィア中心市街地、建物を良く見ると、その角にドームを持つ建物が目だった。

アレグザンダー・ネフスキー寺院、 ドームを持つ建物(1996年12月)

聖ニコライ・ロシア教会

5つの黄金のドームと美しい尖塔を持つ教会 。1913年、ロシアの外交官セモントフスキー・クリロの命で、ロシア人建築家によって建設された。内部にはキエフにあるウラジーミル寺院のイコンのレプリカが納められている。

1994年にソフィアに滞在したときに宿泊したブルガリアホテルが目の前にあった。その並びにナイトクラブがあり、その前に待っているタクシーはメーター付だがソノメータの進み方がチューンしてあり、進むのが異常に速かった。つまりボッタクリタクシーなのであった。そんな細工が見え見栄なのだが、タクシーの運転手は堂々とメーター制料金システムだと豪語したものだ。


ソフィア中心部