ブルガリア覚書

ブルガリアとの関係

なぜかこの国には長く机上で魅了されていた。予備知識があったわけでもないのだが、バルカン半島、ソフィア、リラ、黒海沿岸など印刷物などを目にしたときに記憶に残っていたのだろう。それも良い印象でだ。

他に覚えているブルガリアは1970年に大阪で開催された万博でだ。まだまだ子供だったがどういうわけかブルガリア館の前を通った記憶がある。このときはアメリカ館とソ連館しか入っていないのでどうやって記憶に焼きついたのかはまったく覚えていないのだが。後に偶然にもこのブルガリア館でコンパニオンとして働いていた人と出会うことになる。

ブルガリアは私のことなどまったく意に介していないと思うが、私はブルガリアを気にしている。日本及び日本政府は貿易相手国及び融資国としては若干の経緯は払われているのだろう。その証として、90年代末にやっとビザが免除されたのだから。それまでは、空港でも取れたが90ドル支払う必要があったのだ。

具体的なブルガリアとの関係

ブルガリアとの付き合いは、1994年初冬に旅行したのが具体的な始まりである。そのときはソフィアとリラを訪ねた。その後、1996年に仕事で出張し、翌年2回出張した。そのときの印象がこのサイトのほとんどである。

全国を対象とした鉄道関係の仕事だったこともあり、ソフィアをベースに各地を調査し、休みの時はそれ以外の地を訪れた。南はメルニック、北はドナウ河畔、東はブルガスからバルナへかけての黒海沿岸、そしてドナウ沿岸。古都、プロブディフへも何度か立ち寄ったし、休暇でも出かけた。

ソフィアでは1997年初冬、ハイパーインフレによる暴動や通貨下落も目の当たりにした。爽やかな夏の日々をソフィアで過ごすなか、銀行の倒産でVISAカードが使えなくなったこともあった。

そんな状況ではあったが、ブルガリアではヨーグルトやワインを楽しみ、ショプスカというサラダやトルコの影響を受けた肉の煮込み料理(カヴァルマ)などを楽しんだ。また、カルカデ(ハイビスカスティー)やラキア(ブドウを蒸留した酒)も体験した。お酒は飲めるほうではないが、味はわかる。 お金と時間があればぶどう園を買ってそこでワインでも造ってみたいと思っている。ワイン醸造所が民営分割されたのでそのチャンスはあるだろう、夢物語だが。

ブルガリアヨーグルト

ブルガリアと言えばヨーグルト、これ日本の常識。ヨーグルト菌によって発酵過程を経て・・・・・・

準備中

ブルガリアワイン

90年代後半より、バルクではないボトルもののワインが日本の市場でも出回るようになった。しかし、ブルガリアワインはフランスやイタリアなど主要なワイン生産国と比較すると割安なので安ワインの代表になってしまったが、味は決して劣るものではない。 カベルネ ・ソーヴィニヨンを主体とするフルボディーの赤が一般的である。特にドナウ川沿いがワインの産地だ。しかし、ブルガリア中でワインは醸造されている。黒海沿岸でもブドウ畑が限りなく広がっているし、メルニックの僧院ではガムザでつくった蔵出しのワインが飲める。

 ブルガリアのブドウで栽培されているカベルネ・ソーヴィニヨン種は、フランスのワイン産業の救世主のようなものである。フランスのカベルネ・ソーヴィニヨンが病気で全滅したとき、ブルガリアのカベルネ・ソーヴィニヨンをボルドーへ移植し現在にいたっている。ブルガリアがなければ現在のボルドーのワイン産業は成立していない。
日本でもブルガリアワインは救世主的な役割であった。日本のワイン醸造業者はブルガリア産ワインをバルク(樽)で輸入し、十勝ワインや山梨ワインのブランドで知られるワインへブレンド用としてかなり使ってきた。したがって日本のワインは100%日本産でないのである。これはあまり知られていない。同様に西ヨーロッパのワイン産地へも輸出されている。

黒海沿岸リゾート

知る人ぞ知る隠れリゾートである。ネセバルなどの世界遺産やサニービーチに代表される白い砂浜・・・、ロシア人観光客が多い。

重要な黒海沿岸港湾

リゾートの他に黒海沿岸では重要な港湾施設がある。バルナとブルガスである。ブルガスには黒海最大の石油精製所があり、公害を垂れ流してきたが体性が変わってから、操業がダウンし排出する有害物質が減少し環境が良くなっているようだ。この精製所は、国営企業の民営化に倣って、ベルギーの会社へ売却された。
 話を元に戻し、バルナとブルガスはブルガリア経済にとって重要な施設である。港湾は・・・・・

東西ドイツ人のためブルガリア

東西が分裂していたころ、両国に分断されていたドイツ人親類縁者が公に会える場所がブルガリアだった。特に黒海沿岸のリゾート地がその役割を果たしたらしい。

当時、東ドイツと西ドイツ間の行き来はほとんど困難な状況にあった。そういう状況下、東ドイツ人は同盟国であるブルガリアへ旅行するのはそれほど困難ではなかった。また、西ドイツからブルガリアへも、外貨獲得にも一躍買っている観光と称して黒海沿岸のリゾート地帯におおくのドイツ人が訪れていた。このようにして東ドイツに住む親類と西ドイツに住む親類がここブルガリアで会うことができたのである。

美女の産地

ブルガリアの女性曰く、ブルガリアは美人の産地であるという。これはブルガリアの地理的な位置付けと歴史的な経緯から、ブルガリアは美人を産出するのだそうだ。

バルカン半島に位置し、西洋と東洋のクロスロードにあたるブルガリアは多くの民族の血が混ざり合い、良いとこ取りがブルガリア人女性なのだ。かつてはギリシャ人、ローマ人、後にトルコ人とスラブ民族をベースに多くの血が混ざり合っている。確かに、西ヨーロッパとはやや印象が違う。東洋と地中海を感じる。

ブルガリアが美人の産地なのに対してお隣、ギリシャはどうもそうでないらしい。よって、ギリシャ人の男は美人を求めてブルガリアにやってくるという。(ブルガリア人女性の談)