ハイパーインフレ下の厳しい生活

Sofia 01 | Sofia 02 | Sofia 03 | Sofia 04 | Sofia 05 | Sofia 06 | Sofia 07

1996年ハイパーインフレ

ソフィア1996年、経済状態が悪化の一途を辿っていたので、給与所得だけでは生活ができない状況になっていた。ハイパーインフレで物価が日に日に上がっていった。国家公務員月収は大学卒3-4年で200ドルくらい(ドル換算)の月収が、この年は、あれよあれよという間に3分の2から2分の1程度へ通貨価値が下がってしまった。

これでは生活ができないのでセカンドビジネス、若しくはサードビジネスを求めて職探しに奔走したと知人から聞いた。特にアパートを借りている場合、それまでの支払い通貨だったレバからドル払いへ変わりその支払いだけでも厳しい状況に追い込まれていた。

副業がないと日々の生活が侭ならない状況に多くの市民が追い込まれていた。 特に年金生活者は困窮を極めていた。ブルガリア通貨レバの下落により物価が上昇、一ヶ月の年金でレストランで一度食事ができるかどうかという程度まで価値が下がっていた。

実際のインフレ率は1996年が

1ヶ月の年金で一回分の食事代へ

人口構成からみると30%程度(記憶の範囲)が年金生活者であったので支給金額を上げることが急務とされよく新聞紙上に掲載された。年金生活者にとっては支給額を上げてもらうのは当然の要求だったが、それにも増して毎日の生活をどうやって生活していくかが重要な課題であった。時間はあるので物品を仕入れそれを売る。路上や街角でよくこのような光景を見かけた。オープンマーケットで古本などを売るのもそうだろう。

トラム駅前のニューススタンド、環境省横の俄か酒屋

下の写真右はサイドビジネスに違いないだろうと思った。表に出ているのはこのようなボックスに商品が陳列してあり、ボックスの下に少し空間(半地下)があり、xxxを下さいというと商品が出てくるスタイルだった。都心での小スペースを有効に使ってなんとか食いつなごうとする努力が町のあちこちで見られた。(環境省ビル横)(左の写真はトラム駅にあるニューススタンド)

2011年5月、この酒屋を探したが既にこのショーウィンドウがあった半地下の空間は埋め殺しになっていた。

December 1996-January 1997

   

爽やかな夏のソフィア1997年

厳しい冬と経済とは裏腹に、1997年の夏はそれほど気温が上がらず爽やかな、もしくはやや涼しい夏が続いた。ビトーシャホテルより、ビトーシャ山方向を望む。(1997年7月)

この夏、リラの僧院、メルニック、ブルガス、プロブディフ、バルナ、ルセなどブルガリア各地を訪れた。