リラの僧院(聖ヨハネ修道院)−冬

冬のリラ 夏のリラ

 

ソフィアからリラ(Rila)へ

リラの僧院へ 1994年1月、ソフィアからリラの僧院へ行くことにした。運がよく、その日は素晴らしい天気に恵まれ、あるプロジェクトの好意によりソフィアから年代物のMercedesを飛ばしてRilaへ足を伸ばした。車を運転し案内てくれたのはIvo、何かと助かった。

ソフィアから南へ120キロ、ブルガリアで一番高い山(ムサラ)のあるリラ山脈に位置するブルガリア正教の総本山、リラの僧院へ向った。車は少なく至って快適なドライブとなった。

リラの僧院がどういうところなのか写真を見た限りでほとんど理解していなかった。ただ、ブルガリア正教の総本山でトルコに支配されていた時代もブルガリア文化を営々と引き継いできた程度の予備知識はあった。1983年には世界文化遺産に登録された。

Rila Monastery-Winter リラの僧院 冬

リラの僧院、ビザンチン様式、フレスコ画、ブルガリアで最大の東方正教会、正式には聖ヨハネ修道院という。通称リアの僧院と呼ばれている。このときは冬だったので僧院内には雪が、そして、周囲の山も雪景色。ドーム状のビザンチン様式はどことなくオリエントを感じる、どうしてだろうか?

イコン

フレデリック・フォーサイスを彷彿とさせる単語だ。人影まばらだったが、後からブルガリア人にリラの僧院に行ったことを話したら、イコンは買わなかったのかと聞かれた。そうか、そういうものか、次は是非手に入れよう。そのためか、ソフィアに戻ってからリトグラフのイコンを買った。レプリカのイコンもあったが、リラの僧院で見たような洗練されたのがなかった。

14世紀当時の建物(ヒレロの搭)の一階はイコン売り場

聖処女教会

ドームとアーチ、そしてヨコシマ模様が特徴的。

 

僧院前町

日本風に言えばこのように表現するのだろうか、リラの僧院の門前には若干のおみやげ物屋とレストランがあった。宿泊も出来るようだ。お土産物屋には、手作りのテーブルクロスや毛糸のセーターがあった。

 

リラの僧院

ソフィアから南に約120キロメートル、リラ山脈の山間にたたずむリラの僧院は、世界文化遺産の ひとつ。15〜19世紀のオスマントルコの支配下で、唯一キリスト教が黙認されていた場所だ。僧院の 創立は10世紀だが、現在のかたちになったのは14世紀になってから。そのころの建物は19世紀の火事 でヒレロの塔を残してほとんど焼失したが、その後復旧され華麗な姿を取り戻している。僧院の中心 は聖処女教会。外壁や天井いっぱいに描かれた壁画やイコンはブルガリア正教独特の華麗なもの。敷地 内の歴史博物館にもイコンや昔の聖書などが展示されている。聖書の物語や細かい人物が多数彫り込ま れた『ラファエルの十字架』は必見。 (ABロードより)

リラの僧院2

首都ソフィアから南に約120km、リラ山脈の人里離れた山奥に佇むブルガリア正教の総本山 「リラの僧院」は、国内最大の修道院であると同時に、ブルガリアの人々の心のよりどころでもあ りました。
  32,000uの敷地の中庭をぐるりと取り囲む4階建ての外陣、300を超える独居房、4つの礼拝堂などの施設を備えた この僧院は、文化・芸術的にも高く評価されており、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。   10世紀、修道院イヴァン・リルスキがこの地で隠遁生活を始め、彼を慕う層や信者が集まって小さな寺院を建 てたのがそもそもの始まりで、14世紀には国王の庇護の下で僧院文化が花開きます。
  14世紀末にオスマン・トルコに滅ぼされ、以後約500年にわたってその支配下にあったブルガリアでは、 キリスト教の信仰はおろかブルガリア語の書物を読むことさえ制限されていましたが、リラの僧院だけはその 権威が尊重され、信仰も書物も黙認されていたそうです (住信カード)

 

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